弁護士小森榮の薬物問題ノート

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zoom RSS 2名に逆転無罪―鳥取海岸覚せい剤密輸事件

<<   作成日時 : 2012/12/15 17:16   >>

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2002年、北朝鮮から船舶で運搬された覚せい剤を島根、鳥取など日本海沿岸へ陸揚げして密輸した一連の覚せい剤輸入事件で、一審では首謀者として無期懲役を言い渡された被告人2名に対して、東京高等裁判所が逆転無罪の判決を言い渡しました。
被告人両名が関与を否定する中で、一審で被告人両名を有罪とした最大の決め手は共犯者とされたFの供述ですが、その信用性の評価について、全く逆の判断が示されたことになります。

<ニュースから>*****
暴力団元組長らに逆転無罪=北朝鮮覚せい剤密輸−東京高裁
北朝鮮から覚せい剤を密輸したとして、覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)などの罪に問われた元指定暴力団極東会系組長T(65)、韓国籍の無職U(65)両被告の控訴審判決が14日、東京高裁であり、八木正一裁判長は、2人を無期懲役とした一審判決を破棄し、無罪を言い渡した。
共謀したとされた暴力団組員=一審無期懲役、病死=による証言の信用性が争点だった。八木裁判長は、控訴審で検察側が開示した組員の上申書などから、組員が説明した証言経過は事実に反すると指摘。その上で、「勾留執行停止などで便宜な取り計らいを受けるため、捜査側の意に沿うように虚偽証言をした疑いがある」として信用性を否定した。
捜査を担当した検事の対応についても、「捜査側と取引できるのではないかという(組員の)期待を助長するものだった」と批判した。
時事通信(2012/12/14-17:11)
*****

[輸入事件の概要]
2002年6月から同年11月の間に3回にわたり、北朝鮮から運搬船で運ばれ、日本海の海上で投棄された覚せい剤を小型船で回収する「瀬取り」の手法で、日本海沿岸の岸壁に陸揚げして密輸入を企てた。
6月には約50キログラム、10月には約180キログラムを輸入したが、11月は悪天候のため回収に向かった小型船が港の外に出ることができずに引き換えしたため、覚せい剤236・998539キログラムを回収できず、輸入の予備にとどまった。

[事件の経緯]
@ 捜査の発端
2002年11月 鳥取海岸に大量の覚せい剤が漂着。
A 関係者の逮捕
鳥取県警と警視庁の合同捜査本部は、2006年5月、覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)などで上記2名の被告人などを逮捕。
B 共犯者F被告人について
共犯者のF被告人は2007年3月に東京地裁で無期懲役(罰金1000万円)の判決を受け、控訴中の2008年2月に病状が悪化したため勾留の執行停止により入院、2月24日に入院先から所在不明に。その後3月15日に福岡市の病院で死亡していたことがわかった。
C 第1審判決(東京地裁平成20年5月14日判決)
2008年5月、東京地裁はT、U両被告人に対して、それぞれ無期懲役及び罰金1000万円の判決を言い渡しました。なお、この裁判は裁判員制度が導入される前のものです。

2002年11月、冬の荒波にもまれる鳥取海岸に約200キロの覚せい剤が打ち上げられたのが、この事件の発端でした。日本海を舞台にした覚せい剤密輸事件の捜査が開始されて4年目、被疑者らの逮捕によって明らかになったのは、1990年代末ころから相次いでいた北朝鮮からの覚せい剤海上密輸事件のなかでも、とくに大型の密輸事件です。
この事件全体では、たしか7名の被告人が起訴されていたと思います。首謀者とされたのは、上記の2被告人のほか、実行役らの指揮にあたったF被告人の3名。ほかには、海上投棄された覚せい剤を回収する小型船の船長や操舵役、陸揚げされた覚せい剤の運搬役や警護役などがそれぞれ役割を分担したとされました。
事件のキーマンは、共犯者F被告人でした。F被告人は覚せい剤の回収、陸揚げ、運搬などについて配下の実行役らに指示するなど、首謀者として重要な役割を果たしたとして、無期懲役及び罰金1000万円を言い渡されていました(東京地裁2007年3月14日判決)。
事件の内容やF被告人の役割は実行行為にあたった各被告人や関係者の供述によって裏づけられており、F被告人自身もすべての事実を認めていました。

しかし、北朝鮮側の運搬船との連絡や、陸揚げした覚せい剤の管理方法などからみると、F被告人と同格、あるいはより上位の人物が密輸計画に関与していたことがうかがわれます。当初は自分ひとりが関与したと主張していたFはやがて、F被告人に指示を与え、また輸入の資金を提供した人物としてT被告人を、北朝鮮側との交渉にあたった人物としてU被告人の名をあげるようになります。第一審の判決は、Fが供述するに至った過程を次のように認定しています。
「Fは当初犯行への関与を否認し、その後自分のみが関与していることを認め、さらに、その後「Mr.A」、「MrB」と個人名を秘して首謀者の存在を認めるに至り、最終的に被告人T及び同Uの関与を認める供述をするに至ったのであって、被告人両名をかばおうとする姿勢が窺われる。Fは、その供述経過について、被告人Tをかばうため、自分の関与を含めて被告人両名の関与を否認していたが、肝臓癌のため体調が悪化し、自分だけが関与したことを述べる内容の上申書を書いたが、北朝鮮との連絡の関係で連絡役の存在なしには犯行態様を説明することができず、やむなく個人名を秘して供述を始めたものの、当時の弁護人から全てを話すよう説得されて被告人両名の名前を出したと供述している。」

ここで問題となるのは、F被告人の指揮下で実行行為にあたっていた共犯者たちは、いずれも、F被告人の背後にいたとされるT・U両名を知らないという点です。結局、両被告人に直接結びつくのは、F供述だけなのです。
もちろん、第一審はF供述だけでT・Uの関与を認定したわけではなく、両者の行動、覚せい剤取引との関係、または北朝鮮との関係などを子細に検討していますが、しかし、最高裁が大阪母子殺人事件の判決で示した、「間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」という基準を満たすものではないでしょう。

この事件では第一審の時点から、F供述をどう見るかが問われ続けてきました。報道によれば、控訴審は「事実と反する供述について幹部に問いたださないなどの捜査主任検事の対応が『捜査側と取引できるのでは』という期待を助長させた」と指摘。「接見や勾留執行停止などについて便宜を受けるため、捜査側の意に沿うよう供述をした可能性がある」と信用性を否定したといいます(毎日新聞2012年12月14日)。そういえば、第一審の時点でも、弁護人は、F被告人は体調が悪く、執行停止を得るために警察に言われるままに調書を作成したもので、その供述は信用できないと主張していました。F被告人の体調が悪化するなかでの捜査をめぐる駆け引きという、微妙な疑問が、当初から見え隠れしていたのでしょうか。取り調べ過程の録音録画が実現されていたなら、とまたしても感じさせられたケースです。

なお、捜査段階ですでに体調が悪化していたF被告人は、控訴中の2008年2月に病状が悪化したため勾留の執行停止により入院、2月24日に入院先から所在不明に。その後3月15日に福岡市の病院で死亡していたことがわかったと報じられました。

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