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わが国の薬物乱用に対する法規制の基本となっているのが麻薬及び向精神薬取締法ですが、その原型は、第二次対戦後の占領下で連合国軍最高司令本部(GHQ)の指示によって整備されたものです。 この法律の背景を理解するには、まず、日中戦争や満州国と阿片の問題をひととおり把握しなければなりません。その背景を抜きにして、GHQが日本の麻薬政策に関して極めて厳格な姿勢で臨んだ理由を理解することができないからです。 1945年に連合国軍が日本に進駐した当時、日本は、国際社会において、悪名高い麻薬ブローカー国家とみられていたようです。しかし、日本が国家的規模で行った麻薬売買について、あまり語られることはありませんでした。ポツダム宣言を受諾後、軍事政策に関係した資料の多くが焼却されたといいます。 私はいま、日本による中国侵略と阿片問題の資料を読み始めたところです。この問題に関して、2冊の優れた歴史資料集があります。 江口圭一編『資料 日中戦争期阿片政策―蒙疆政権資料を中心に』岩波書店、1985 岡田芳政ほか編『続・現代史資料12 阿片問題』みすず書房、1986 いずれも、日本の中国侵略と連動した阿片政策に関する貴重な資料集です。なお、最近刊行された読みやすい文庫本として、佐野真一『阿片王―満州の夜と霧』新潮文庫、2008があります。 今日、読んだばかりの『続・現代史資料12 阿片問題』の冒頭に掲載された「解説」は、「始めに軍隊が、次に商人が、というのが日本の中国の侵略の型であった。」としています。「軍隊が侵攻した占領地を確保する。そこに製薬会社の、または密造による麻薬が持ちこまれる。阿片は阿片戦争以後、広汎に中国で吸飲されていた。清朝が倒れた辛亥革命(1911年10月10日に始まる〉以後、中間は各地に軍閥という一種の封建領主が割拠し、互いに争い、戦っていた。この「動乱の支那」の時代、軍閥の軍費を中心とする維持費はおおむね阿片によって賄われた。中国は阿片の生産量でも吸飲者の数でも世界一となっていた。蒋介石・国民政府による北伐完成(1928年6月9日〉で一応、国家統一された以後も、雲南省、綏遠省、四川省、広西省、山西省、熱河省や東三省などには軍閥が健在であり、けし罌粟(けし)が栽培され阿片が製造されていた。蒋介石の阿片禁止もまったく実効はなかった。ここに日本軍が入ってきたのである。(岡田芳政ほか編『続・現代史資料12 阿片問題』xii頁、みすず書房、1986) |
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