密造拠点の拡散 | 覚せい剤密輸の半世紀5

4、韓国での取り締まり強化と密造拠点の拡散

 韓国では、日本統治時代にモルヒネ等の麻薬乱用が広まり[31] 、1945年の独立後もしばらくは深刻な状況が続きましたが、その後の強力な取り締まりによって、1960年代後半ころから麻薬犯罪は急速に減少し始め、1970年代には麻薬問題はほぼ根絶したと見られていました。
 しかし、やがて日本に密輸する目的で覚せい剤を密造し、これを韓国人船員や日本からの旅行者に売却するという現象が現れ、覚せい剤を取り締まるため1970年に「習慣性医薬品管理法」を制定し、製造、輸出入及び製造又は輸出入目的での所持事犯に対しては無期懲役又は7年以上の有期懲役、更に営利目的又は常習でこれらの罪を犯した場合は、死刑又は無期懲役若しくは10年以上の有期懲役と、極めて厳格な罰則が定められました。
 なお、この法律は、覚せい剤の製造や輸出入、譲渡、使用などを禁止していますが、制定当時の韓国では、覚せい剤乱用はほとんど問題になっていなかったため、主に密造や密造品の譲渡、密輸などが取り締まりの対象とされました。たとえば1975年の習慣性医薬品管理法違反、つまり覚せい剤事犯の検挙状況は、密造14件(47人)、密売22件(90人)に対して使用事犯はわずか2件(4人)となっています[32] 。やがて、韓国でも乱用者の増加が問題となるのですが、それは、しばらく後年のことです。

 韓国での法制定は、間もなく日本への覚せい剤密輸状況にも変化をもたらし、それまでもっぱら韓国に限定されていた密輸覚せい剤の仕出し地が分散し始め、1973(昭和48)年には香港からの密輸が摘発され[33] 、翌年には台湾、タイからの計画的、組織的な大量の密輸事犯が検挙されました[34] 。
 同年末の国会委員会で、説明員として出席した警察庁幹部は「この6月以降に韓国のルートが、全然検挙がありません。香港ルートとか台湾ルートが検挙されておりますが、これは私どもの推察といたしましては、・・・韓国の覚せい剤取り締まりの根拠法で、法律の中で死刑を最高刑にしたということで、犯人が非常に自粛しているのじゃないか」と発言しています[35] 。
 しかし、韓国からの密輸が途絶えてしまったわけではなく、その後も1983(昭和58)年までは、韓国はわが国に密輸される覚せい剤の最大の仕出地であり、韓国仕出しの覚せい剤が年間50キログラム前後押収されるという状況が続きました。

 なお、韓国では1980年ころから覚せい剤の乱用が国内でも問題になり始め、取り締まりが強化されましたが、当時の警察白書は「従来覚せい剤を供給するだけであった韓国においても、最近、乱用者の増加が問題となりつつある。」として、密造者から覚せい剤を仕入れ、釜山市内で密売していた韓国人の会社社長を釜山地方検察庁が検挙した事例を紹介しています[36] 。さらに1989年には密造原料となるエフェドリンの規制が強化され、このころから、韓国での覚せい剤密造は急速に鎮静化し始め、韓国での覚せい剤密造は1990年代後半までにはほぼ壊滅したとみられています。米国の資料は、1999年時点で「韓国における覚せい剤密造は、もはや問題となっていない。」としています [37]。

出典
[31] 日本統治時代の朝鮮におけるモルヒネ問題については、倉橋正直『日本の阿片戦略』共栄書房(2005)、第6章 「朝鮮モルヒネ問題」に詳しい論考があります。
[32] 習慣性医薬品管理法の成立と運用については、主に、飼手義彦「東南アジア諸国における薬物乱用問題の現状」(前注30書)によりました。
[33] 昭和49年版 犯罪白書 第3編/第2章/第2節/2
[34] 昭和50年版 犯罪白書 第1編/第2章/第2節/4
[35] 昭和48年11月13日、衆議院決算委員会における綾田説明員の発言
[36] 昭和55年版警察白書 第2章「白い粉との戦い」
[37] US Department of State, 1999 International Narcotics Control Strategy Report

続く

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