密造拠点は韓国へ|覚せい剤密輸の半世紀4

覚せい剤密輸の半世紀を振り返る連続記事です。
第1章 密造から密輸へ・・・1970年代~
を続けます。

3、韓国での覚せい剤密造の開始
 1969(昭和44)年ころ、再び覚せい剤市場が活発化し始めるとともに、国内での密造も動き始めましたが、覚せい剤の密造は悪臭を発するために発覚しやすく、警察による摘発が相次ぎ、やがて密造は下火になっていきますが、これと呼応して、韓国から密輸される覚せい剤が増え始めます。
 韓国で密造された覚せい剤が、わが国で押収されるようになったのは、1965(昭和40年)ころからで、大阪を中心とした関西に韓国産の精製度の悪い、いわゆる〝赤ネタ〝と称する覚せい剤粉末の密売買がみられるようになったという報告があります[22] 。
 韓国からの覚せい剤密輸が本格化したのは1970(昭和45)年ころからで、その後1983(昭和58)年までの10年以上にわたって、わが国で摘発される覚せい剤密輸において、韓国は、供給地の第1位を占め続けます[23] 。韓国ルートの覚せい剤密輸押収がピークに達した昭和56年では、年間の密輸押収量102.8キログラムのうち、74.4%(76.5キログラム)が韓国を供給地とするものでした[24] 。
画像

↑覚せい剤密輸入事犯の押収量の供給地別及び陸揚地別構成比
昭和57年版犯罪白書より転載

 
 ここで特筆しておかなければならないのは、当時、韓国では覚せい剤乱用はほとんど問題になっておらず、主に日本に向けて密輸するために、密造が行われたという点です。当時の検察官は、「韓国内における使用を背景とする覚せい剤の需要は極めて小さいか、あるいは無視して差支えない程度と考えてよいであろう。韓国において覚せい剤が問題とされるときは、もっぱらわが国への供給を目的として覚せい剤の密造、密売買、密輸出である 。」と報告しています[25]。
 その後、密造拠点は、台湾、フィリピン、タイなどへ移動・拡散していきますが、いずれの場所でも、密造拠点が稼働し始めたころには、現地での覚せい剤乱用はほとんど問題になっていなかったという事情は共通しています。

 ところで、最初に密造拠点を設けた場所がなぜ韓国だったのでしょう。これを考えるうえで、当時の日韓交流状況は大きなヒントになります。1965(昭和40)年には日韓基本条約が締結されて国交が成立、1970(昭和45)年には関釜フェリーが就航するなど、日韓の交流が急速に活発化していた時期に、韓国から日本にもたらされた大量の輸入品に紛れて、覚せい剤の密輸も動き出したのです。
 当時の国会委員会で、政府委員として出席した厚生省の薬務局長は、次のように答弁しています。「韓国との関係でございますが・・・、交通は非常に便利になっておりまして、連絡船もございますし、飛行機もある、フェリーもあるというようなことで、相当韓国から覚せい剤が輸入されておるという情報は私どもも入手いたしております。そのために、九州の地区麻薬取締官事務所の分室を小倉に置きまして・・・税関あるいは警察庁、海上保安庁等とも連絡をとりまして・・・水ぎわ作戦で押えるというような対策をとっております [26]。」
 また、かつて日本で覚せい剤密造に関わった韓国人の存在についても、しばしば言及されています。以下は、第二次乱用期のころの、警察庁薬物対策課長による論考の一部ですが、密造拠点としての韓国をよく表しています。
 「密造国としての第一は韓国である。ここには、『ヒロポン時代』に日本で密造技術をマスターした優秀な技術者が多数居る。原料の塩酸エフェドリンも容易に入手できる。その一部は日本から密輸出されているとの情報もあり関心を持っている。韓国は市場に近く、航空機、船舶等による交流も頻繁であり、更に日本の暴力団員等の関係者も多数居住している。密造されているのは結晶状の「ガンコロ」であり、日本での評判は良い。年間1トン以上を日本に供給しうるとみられている。価格は1グラム4~5千円から1万円で日本に密輸出される[27] 。」
 ヒロポンの時代、密造者として検挙された人たちの中に、朝鮮半島出身者が際立って多かったことが、当時の警察の集計で知られています。前述したように、1954(昭和29)年に警察は覚せい剤事犯に対する集中取り締まりを実施しましたが、取り締まり開始直後の同年10月中に検挙された密造事犯者の54.8%が朝鮮または中国系の外国人だったといいます[28] 。日本でヒロポン密造に関わった人たちが、その後帰国し、韓国に覚せい剤製造の技術を伝えたことは容易に推察することができます。
 いっぽう、日本の暴力団も韓国に進出して、韓国の密造グループと連携して覚せい剤の密造や密輸に関与し始めますが、昭和54年版警察白書はこうした動きについて「最近は暴力団関係者がこれらの国に駐在し、現地人と結託して大規模な密造密輸組織を作り、外国人船員等を使用して大量の覚せい剤を持ち込む[29] 」と述べています。また、「ソウル地方検察庁が1976(昭和51)年から1978(昭和53)年前半期までの間に受理した覚せい剤事犯による合計178名の被疑者のうち17名が外国人で、しかも、そのうち15名が日本人である[30]。 」とする報告もあります。

出典
[22] 笠谷正次郎「大阪における覚せい剤犯罪の実態」、警察学論集31巻7号73頁、1978
[23] 昭和60年版犯罪白書によれば、昭和58年では、韓国を供給地とする密輸が74.6%を占めていたが、昭和59年では台湾ルートが92.4%となっている。
[24] 昭和57年版犯罪白書 第4編/第2章/第4節/2
[25] 飼手義彦「東南アジア諸国における薬物乱用問題の現状」法律のひろば32巻5号、26-27頁 、1979
[26] 昭和48年4月3日参議院外務委員会での政府委員松下廉蔵氏の発言より
[27] 島田尚武「『シャブ時代』における覚せい剤問題の全般的概況」、警察学論集31巻7号10頁、1978
[28] 近藤光治「覚せい剤事犯の回顧と展望」、警察学論集8巻1号47頁、1955
[29] 昭和54年版警察白書、第5章 生活の安全の確保と環境の浄化
[30] 飼手義彦「東南アジア諸国における薬物乱用問題の現状」法律のひろば32巻5号26頁、1979

続く

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