中国清時代の阿片|芥子と阿片2

阿片・・・麻薬の代表格として、あるいは阿片戦争という史実を通じて、その名は日本人に広く知られていますが、阿片を(写真でも)見たことのある方は少ないと思います。「阿片」で想起するイメージといえば、辮髪の中国人が長いキセルで吸っている光景や、あるいは阿片戦争を描いた絵といったものでしょうか。日本人と結びついた阿片の光景は、ちょっと思い浮かびません。
これは、当然のことなのです。日本国内では、これまで阿片の乱用が広まったことがほとんどなく、阿片が幅広く流通した実績がないのです。時おり時代劇で「ご禁制破り」で阿片の密貿易をしたなどというエピソードに出会いますが、残念ながら、そのような史実はなかったようです。幕末から明治にかけて、日本の政府は阿片を厳しく「ご法度」扱いにしてきましたが、これは乱用を未然に防ぐ政策だったと考えたほうがよいでしょう。明治初期に中国人が多い港町などでは、ごく一部で阿片が流通したこともあったようですが、あくまでも限定的なものだったようです。
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↑写真はWikimedia Commons.より

●あへんとは
パパヴェル・ソムニフェルム・エル(いわゆる阿片ケシ)は、大きな花を咲かせた後、ゴルフボール大のさく果(ケシ坊主)をつけます。このケシ坊主に傷をつけて染み出す乳液を集めたものが阿片で、乾燥させると黒い粘土のような塊になり、変質しにくく長期保存できます。
阿片には多量のモルヒネ成分が含まれているので、薬品として、あるいは嗜好品として古くから使用されてきましたが、阿片は主に食べる、飲むという形で摂取されてきました。阿片を喫煙する習慣は、17 世紀半ばに、オランダの支配下にあったジャワ島あたりで、タバコとともに阿片を喫煙する方法として広まり、間もなく同じくオランダ支配下の台湾を経て、対岸の中国沿岸部に伝えられ、急速に拡大したといわれます。
阿片は、他の薬物と同じように、喫煙(正確に言えば加熱して蒸気を吸う)した場合、極めて早く、しかも効率よく成分が脳に達するため、食べる場合と比べ、はるかに強い快感を得ることになります。そのため、喫煙という使用方法が広まった17世紀末ころから、中国沿岸地方では乱用問題が拡大し始め、やがて阿片戦争へと拡大していくことになります。

●インド産あへん
中国で喫煙された阿片は、主にインド産のものでした。インドでは古くから芥子が栽培され、阿片が採取されていましたが、16世紀ころから輸出商品として阿片が増産され、アジア一帯でインド産阿片が交易されていました。インド中部で生産された阿片は、ポルトガル商人の手で、ポルトガル領の港へ運ばれ、ポルトガルの支配下にあったマカオを経由して中国沿岸地方にも届いていたのです。
当時、インド産の阿片は、ソフトボール大の球形に仕上げられ、マンゴ材の箱に詰めて取引されていました。箱のサイズは約100×50×50センチ、ソフトボール大の生あへんを約40個詰め、1箱の重量は75キログラムという規格でした。
(この頃のインドの阿片工場の絵が下記にあります。*注記1)
http://www.bl.uk/learning/images/trading/comp/large7576.html

17世紀後半から、中国の広東省、福建省では、インド産阿片の乱用が広まり始めます。1683年にアモイで大規模なあへん乱用がみられ、1729年に中国皇帝はあへんの輸入及び販売の禁止令を出します。とはいえ、この当時、中国に輸入されたあへんは、年間13トンほどで、まだ問題は局地的なものだったということができます。
中国のあへん問題が深刻さを増すのは、18世紀に入って、東インド会社が、中国貿易の決済手段として、銀に替えてあへんを用いるようになったころからで、中国、インド、英国を結ぶいわゆる三角貿易によって、中国へのあへん流入量は増加し、1780年代後半には年に2000箱(約150トン)、1790年代には4000箱(約300トン)、1820年代には1万箱(約750トン)と急増し、あへん戦争直前の1838年には4万箱(約3000トン)に達します。

●中国特有の阿片煙膏
17世紀ころには、タバコとともに喫煙するというスタイルで広まった阿片の喫煙ですが、中国での使用が広まるとともに、次第にその使用方法が洗練され、中国特有の阿片文化が生まれ始めます。その中心にあったのが、阿片煙膏という喫煙専用の阿片調合ペーストで、インドから輸入した生阿片に他の材料を加え、加熱して、なめらかなペースト状に仕上げたものです。
ゆったりとした寝椅子に身を横たえ、阿片槍と呼ばれる専用の喫煙具(きせる)を用いて、このペーストを喫煙するのが、中国風の上流階級の阿片喫煙スタイルになったのです。
(中国風の阿片喫煙(サンフランシスコにあった中国風あへん宮*注記2)を描いた絵が、下記にあります。)
http://www.druglibrary.org/schaffer/history/1870/frenzeny.htm

なお、幕末から明治にかけて、日本にもたらされた阿片の情報は、この中国スタイルを前提としたものです。そのため、明治期に出された阿片の禁令では、禁止の対象となっているのは基本的に阿片煙膏で、刑法に規定されている「あへん煙に関する罪(136~141条)」の「あへん煙」というのも、この阿片煙膏をさしています。

*注記1
 この絵は、18世紀、英国東インド会社がインドにおける阿片の生産、販売、輸出を直接管理するようになった時期に、英国人によって経営されていた阿片製造工場を描いたものと思われます。

*注記2
この絵は、19世紀のサンフランシスコにあった、中国風の阿片窟を描いたものと思われます。当時、アメリカには中国人労働者が多数生活し、中国風の生活文化も持ち込まれました。


5月29日加筆
参考文献をつけるのを忘れたので、追加します。
[参考文献]
①井上裕正『清代アヘン政策史の研究』京都大学学術出版会(2004)
②後藤晴美『アヘンとイギリス帝国』山川出版社(2005)
③UNODC『2008年版世界薬物報告書WORLD DRUG REPORT2008』

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