除倦覚醒剤ヒロポン|覚せい剤問題の歴史3

4月14日訂正
下線部分を訂正しました。理由は末尾に記載しています。

4、除倦覚醒剤ヒロポンの登場

日本で覚せい剤を成分とする一般薬が発売されたのは1941(昭和16)年のことで、大日本製薬株式会社(現在は大日本住友製薬株式会社)は、大脳の興奮作用と循環系に対する作用をもつ薬品をヒロポンとして発売しました。これは1錠中に塩酸メタンフェタミン1ミリグラム(0.001グラム)を含有する錠剤で、ほかに散剤(粉薬)、注射剤の3タイプが販売されました。ヒロポン(PHILOPON)は同社の登録商標で、ギリシア語のヒロポノス(philoponus:仕事を愛する)にちなむ名称だと伝えられていますが、「疲労をポンと取る」ところからこの名が生まれたと信じている人も多いようです。

ヒロポンとほぼ同時期に、参天堂製薬は同じメタンフェタミン製剤のホスピタンを発売し、株式会社武田長兵衛商店(後の武田薬品工業株式会社)はアンフェタミン製剤のゼドリン、富山化学工業はスルファート剤のアゴチンを発売し、ほかにも同種の覚せい剤が相次いで発売されました[1] 。ある書籍は、1940年代に覚せい剤を製造した会社は23にのぼると指摘しています[2] 。そのなかで、もっともよく知られたのが、大日本製薬によるヒロポンで、戦後に覚せい剤取締法が制定されて「覚せい剤」という呼称が一般化するまでの間、世間では「ヒロポン」という名が同種のATS製剤の代名詞のように受け入れられてきました。なお、本稿で「ヒロポン」と記載する場合は、特定の商品名をさすだけでなく、当時販売されていたメタンフェタミンおよびアンフェタミン製剤や、その密造品をも含めた一群のATS製品をさすこともあります。

さて、このヒロポンは、眠気や疲れを取り払い、元気をつける薬、当時のことばでいうと除倦覚醒剤として、薬局などを通じて販売されました。「アサヒグラフ」昭和17年8月26日号に掲載されたヒロポン新発売の広告は、次のような内容です。
 新発売
  疲労の防止と恢復に 最新 除倦覚醒剤
  製法特許 ヒロポン
本剤はd-l-Phenyl-2-merthylamino-propanの塩酸塩であって、未だ曾つて知られざる特異なる中枢神経興奮作用を有し、倦怠除去、睡気一掃に驚くべき偉効を奏し、医界産業界等各方面に異常なる注目と愛用を喚起しつつある最新剤である。
 適応領域
  一、過度の肉體及び精神活動時
  二、徹宵、夜間作業、その他睡気除去を必要とする時
  三、疲労、宿酔、乗物酔
  四、各種憂鬱症

広告には「各地薬店にあり 品切の節は直接本社へ御注文乞う」とあり、ヒロポンが薬局を通じて一般用医薬品として発売されたことを示していますが、はたしてこの商品は純粋な意味で、一般用医薬品だったのかという疑問がわいてきます。戦時中の回顧談として、軍隊や訓授産業でヒロポンが使われたエピソードが伝えられ、また市中ではヒロポンが入手できなかったという話もあります。確かな資料はないようですが、当時の医薬品統制の状況などを考えると、これら製剤が薬局等のルートを通じて一般市場に豊富に出回っていたとは考えにくいのです。

1951(昭和26)年、覚せい剤取締法制定のために開かれた参議院厚生委員会で大日本製薬の東京支店長は、次のように述べています[3]。
「覚醒剤を、私の所はヒロポンでございますが、売り出しましたのは昭和十六年でございまして・・・その頃勿論日本の文献というものは一つもございません。欧米の文献全部を渉猟いたしまして、そして用途、用法などを十分に研究いたしまして・・・いよいよ発売することになりました。この薬は・・・大脳の興奮作用と、もう一つは循環系に対する作用と、二つの大きな作用があるということで、この方面の用途を強調しようということで売出したのであります。ところが図らずもその頃には太平洋戰争が起りまして、精神興奮剤のほうが非常に重大視されて、戦争中は殆んど軍部に全部取られましていろいろなお菓子に入れたり、いろいろなことで使われまして、余り市場には出なかつたのでありますが、戦後になりまして民間に出るようになりましてから中毒の声を聞くようになりました 。」

この控えめな発言を通じて把握することができるのは、まず、すでに欧米で販売されていたベンゼドリンやペルビチンなどに関する文献を参照して、これら人気商品の国産化が進められたという経緯です。この当時、ドイツではペルビチンが軍用目的に大量に使用されていたことも、当然把握されていたことでしょう。
また、発売されたヒロポンは「戦争中は殆んど軍部に全部取られ・・・、余り市場には出なかつた」といいます。メーカーの開発意図がどこにあったかは別として、発売されたヒロポンのほとんどは「精神興奮剤」として軍部や軍需産業で使われていたことも明らかにされているわけです。
太平洋戦争に向かってひた走る日本で生まれたヒロポン等の商品は、戦線の拡大とともに軍需品としての性格を強め、生産された製品の大部分が軍用あるいは軍需産業用に向けられていったことでしょう。さらにいうなら、これら商品の国産化を進めた意図に、軍事目的が含まれていたと推理することもできるでしょう。この当時、疲労回復、倦怠感の除去を必要としていたのは、民間より、むしろ軍部だったと思われます。

出典
[1]山川浩司ほか『日本医薬品産業史』84頁、薬事日報社(1995)
[2]佐藤哲彦ほか『麻薬とは何か』148頁、新潮社(2009)
[3]1951(昭和26)年2月15日 参議院厚生委員会での参考人豊島順吉氏の発言より(国会議事録)

ヒロポンの塩酸メタンフェタミン含有量について
錠剤1錠中の塩酸メタンフェタミン含有は、おそらく1ミリグラム(0.001グラム)だったと思われます。古い雑誌広告でははっきり読み取れず、0.01グラムと判読したのですが、一般用薬品としては含有量が多すぎるように思い、いろいろ調べてみました。昭和26年ころの専門家による解説文書では、同年ころ出回っていた大日本製薬のヒロポン錠は、1錠中0.001グラムとあります。ちなみに、同じ資料に注射薬は1アンプル中3ミリグラム及び5ミリグラムとあります。(4月14日追記)

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この記事へのコメント

yeppuni
2011年04月16日 13:30
資料によると、当時のメタンフェタミン製剤ヒロポンの1条あたりの含有量は1mg、アンフェタミン製剤ゼドリンは2mgです。
現在、米国で承認されているアンフェタミン製剤の用量は30mg前後が主流で、わずか3歳の児童の発達障害に対する処方量でさえ、5-10mgは必要とされます。
税関の「末端乱用者の…」との表現で使われる換算値は30mgと、ほぼ同じ値が使われています。なお、処方薬として使われている錠剤の形態では、いわゆる濫用薬物としての作用はほとんどありません。
いったい、当時と今とで、人間のATSに対する感受性が変わってしまったのでしょうか。
わたしの謎のひとつです。
原料
2011年06月07日 09:31
えっ!? 
1mgは0・001gなんですか?110倍散や、10% 覚せい剤原料として処方薬としてありますが、g 計算した場合は・・・?   私は、喘息疾患で処方して頂いていましたが、すごい視線で薬剤師に見られるのに耐え兼ね、別の処方薬に変えたら。・・・アナフィラキーショックを起こしましたが、副作用救済機構は外来患者に対し、受付けて頂けないんですね。 なんだかな~~今の時代
yeppuni
2011年07月06日 05:46
これはメートル法、正式には国際単位系SIといいますが、度量衡の問題で、量るものが薬か何かは関係ありません。
1mmは0.1cm、1mは100cmだから、1000mmが1m、つまり0.001mが1mmになりますよね。
これをメートルからグラムに変えても同じです。
軽量するものが何であっても、体系的に接頭辞をつけることで倍量・分量を表せるのがこの単位系が科学分野のスタンダードになった理由です。
たとえば、坪は36平方尺で、升は64827立方分、とかだったら、軽量に困りますよね?

ところで、原料さんが喘息に処方されているのは、ヒロポンではなくて、エフェドリンではないでしょうか。
ヒロポンに喘息の適用はありませんし、そもそも覚せい剤原料ではなく、覚せい剤そのもので、医師の話によれば、確かに日本薬局方に収載されていて処方せんがあれば使える建前ですが、現在は実験・研究用に名残が残っているだけで、処方せん自体出ることも、医薬品として薬局に置かれることも、決してないとのことでした。
ヒロポン10倍散は医薬品として承認されていませんから、エフェドリンの勘違いだと思いますよ。

もともと、エフェドリンは喘息の漢方薬から発見されました。
当時の技術ではこれを合成することができず、より簡単に合成できるアンフェタミンでしかたなく代用した、その時点では覚醒作用などまったくわかっていなかった、というのが歴史です。
半素人
2012年10月02日 13:41
http://www.e-pharma.jp/allHtml/1151/1151001F1020.htm
http://www.e-pharma.jp/allHtml/1151/1151400A1020.htm
現在のヒロポンは錠剤で1日10~15mg、注射液で1日3~6mgが適正量のようです。
つまり内服だと肝臓を経る分、脳へ届く量が少なくなるようです。

>現在、米国で承認されているアンフェタミン製剤の用量は30mg前後が主流で、

アンフェタミンの効果がメタンフェタミンの2分の1~3分の1だとすると、ヒロポンの説明文書とは符合しますね。

>税関の「末端乱用者の…」との表現で使われる換算値は30mgと、

注射の場合(特に静脈注射)は内服の数分の1でいいので、内服に換算すると100mgくらいになるのでしょうね。

なお、光学異性体の問題もあります。
>本剤はd-l-Phenyl-2-merthylamino-propanの塩酸塩であって、
とあるように、当時はラセミ体だったようです。
麻黄由来のエフェドリンから製造したなら、l体が混じることはないと思いますが、もしかすると軍用に大量に製造する必要上、完全に化学合成していたのではないでしょうか(はっきりしたことは分かりません)。
で、現在のヒロポンがd体なのかラセミ体なのかは検索しても分かりませんでした。
基本的にラセミ体の覚醒作用はd体の約半分なので、2倍飲まないと同じ効果が出ないことになります。
しかし、末梢血管に作用して血管を収縮させ、血圧を上げる作用はラセミ体もd体もあまり変わらないと思います(違っていたらすみません)。
なので、ラセミ体を、d体と同じ効果が出る量を飲むと、高血圧などの副作用が強く現れます。

(続く)
半素人
2012年10月02日 13:48
現在、アメリカで売られているアデラールは、d-アンフェタミン75%、l-アンフェタミン25%の物のようです。
(l体をわざわざ混ぜているということは、副作用ばかりではなく何か意味があるのだと思いますが、よく分かりません)

結局、戦時中のヒロポンの用量が少なすぎるように思えることについては、確かに不思議であり、私もよく分かりません。
もしかすると、毎日飲んでも支障のない量ということで、控えめに設定されたのでしょうか。
ちなみに、当時は5~6粒飲むのが普通だったと見たことがあります。

>株式会社武田長兵衛商店(後の武田薬品工業株式会社)はアンフェタミン製剤のゼドリン、富山化学工業はスルファート剤のアゴチンを発売し、

スルファートというのは硫酸塩ということですね。
アゴチンもゼドリンと同様、アンフェタミン製剤のようです。
半素人
2012年10月02日 13:56
>確かに日本薬局方に収載されていて処方せんがあれば使える建前ですが、現在は実験・研究用に名残が残っているだけで、処方せん自体出ることも、医薬品として薬局に置かれることも、決してないとのことでした。

2chのスレで、ナルコレプシーの人が今までの薬で効かなくなったのでヒロポンを処方されたというレスがありました。
本当かどうかは分かりませんが。

ちなみに、医薬品のヒロポンの薬価を見ると、メタンフェタミンの単価では、密売価格よりはるかに割高だということに気づきました。
常々、裏価格は暴利だと思っていましたが、まさか正規医薬品の方が割高だったとは意外でした。

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