元気の出る薬|覚せい剤問題の歴史1

震災以降、沈うつな空気に覆われているなかで、ブログの更新にも熱がはいりません。こんなときには、長期戦で続けている勉強をこつこつ進めていくに限ると、ここしばらく、覚せい剤問題の歴史と取り組んでいました。少しずつ集めておいた文献を読み、メモを作り、毎日コツコツ・・・。
ようやく形になり始めた学習メモを、すこしずつ掲載していきます。これは、あくまでも私自身のノートであり、いずれ論考をまとめるための準備メモですから、文献探しが進むにつれて、私の視点が変わることもあります。

Ⅰ 元気の出る薬―世界大戦と覚せい剤

1、覚せい剤の誕生
 覚せい剤、化学的な分類からいえばアンフェタミン型中枢神経興奮薬(ATS)を代表するのはメタンフェタミンとアンフェタミンです。
アンフェタミンは1887(明治20)年、エデレアヌ (Lazăr Edeleanu) が初めて合成し、メタンフェタミンは、漢方薬として知られる麻黄を研究していた日本の薬学者の長井長義が麻黄研究物質第33号として生み出し、1893(明治26)年に薬学雑誌に発表しました[1]。しかし、これらATSが実際に医薬品として用いられるようになったのは、1930年代になってからのことです。
1930年代から1940年代にかけて、世界不況とやがて世界に拡大する大戦に覆われた緊張の時代に、メタンフェタミンやアンフェタミン製剤はデビューし、神経を覚醒させ、活力を高める薬としてたちまち人気商品になりました。しかし、この時代に見事にフィットした覚醒作用のすぐ裏側には、薬物乱用という大きな問題が控えていたのです。アメリカで生まれたベンゼドリン、ドイツではペルビチン、そして一歩遅れて日本で発売されたヒロポン・・・、まず代表的な3つのブランドの登場をみていくことにしましょう。
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↑長井長義博士が「薬學雑誌」に発表したメタンフェタミンの報告

2 ヒット商品になったベンゼドリン
欧米では、1930年代ころからアンフェタミンやメタンフェタミンなどのATSを成分とした薬品の開発が始まり、薬局などで市販される一般薬として発売されました。
アメリカでは1931年に、スミス・クライン&フレンチ社が喘息治療薬のインヘラー(吸入剤)として、アンフェタミン製剤のベンゼドリン(Benzedrine)を発売しましたが、これはアンフェタミンの末梢血管収縮作用に注目して開発された薬品で、喘息発作を起こした患者の鼻腔や気管支のうっ血を改善するものです。
覚せい剤であるアンフェタミンやメタンフェタミンには、中枢神経に対する刺激作用があると同時に、交感神経系を活性化させる作用があり、これにより血管収縮、頻脈、血圧の上昇、瞳孔散大、立毛などが生じますが、その抹消血管を収縮させる作用は鼻やのどのうっ血を除くのに有効です。現在では、アンフェタミンやメタンフェタミンが風邪薬に配合されることはありませんが、中枢神経に対する刺激作用を抑えて依存などの問題が起こりにくい構造にしたプソイドエフェドリンが、鼻炎薬や風邪薬に使用されています。
この当時、アメリカでは薬品の販売に際して医師の処方箋を条件とする制度はなく、この吸入剤もOTC薬として市販されました。
ところが、この吸入剤には思いがけない副作用があることが明らかになってきます。気管支喘息の発作を鎮めるためにこれを使った患者たちは、不眠に悩み、また急速にやせ始めたのです。これこそ、アンフェタミンの精神作用です。まもなく、この吸入剤のもたらす、睡眠を妨げ食欲を減退させるといった副作用が注目されるようになり、気管支喘息治療薬としてベンゼドリンを販売していたスミス・クライン&フレンチ社は、この薬品の新たな適用分野の開拓に取り組むことになります。アンフェタミンの精神作用に関する研究が進められ、アンフェタミンを用いてナルコレプシーやうつ病などの治療が試みられ、1935年ころには、アンフェタミン錠剤がナルコレプシーの治療に有効であるといった論文が発表されます[2]。
1937年アメリカ医学会は、ナルコレプシーやパーキンソン病の治療薬としてベンゼドリン塩酸塩の広告を承認しました。当時のアメリカでは、アメリカ医学会による承認によって医学雑誌に広告を出すことが、薬品の販売承認として受け入れられていたので、これは事実上、治療薬としてのアンフェタミン製剤の発売を許可したものとみなされました。
ベンゼドリン錠剤は、軽度のうつ病治療薬として、精神科、神経科の医師に広く受け入れられ、瞬く間にヒット商品となりました。医学雑誌には、体重減量作用、うつ状態や子どもの問題行動などに対する治療効果など、ベンゼドリンの新たな適用領域が次々と報告され、また1938年には有力な医師が「この薬品に依存性があると認める根拠はない。」と発表しました。
ベンゼドリン錠剤は元気の出るクスリ(pep pill)と呼ばれ、新聞や雑誌に広告が掲載され、社会のさまざまな層に浸透していきました。眠気をはらい活力を感じさせる作用は、徹夜で勉強する学生やトラック運転手に好まれたといいます。
しかし、アンフェタミンには、現在では私たちがよく知っているように、中枢神経に対する刺激作用によってもたらされる多幸感や、依存性といった問題があり、使用の拡大とともに、本来の治療目的から外れた乱用も広まり始めます。1938年に合衆国食品・医薬品局(FDA)は、アンフェタミンなど特定の薬品の販売に当たって、医師の処方を必要とするよう制限を設けました。
それにもかかわらず、ベンゼドリンの需要は伸び続け、その売上は1941年には50万ドルに達し、同社の全売上の4%を占めるまでになりました。さらに、1945年までにはデキストロアンフェタミン製剤のデキセドリンも発売され、ベンゼドリンと合わせた売上高は200万ドルになったといいます[3]。1946年にBettはアメリカの医学会では、統合失調症、てんかん、偏頭痛、筋無力症、尿漏れ、メニエール症、ニコチン中毒など39の症状に対する治療にベンゼドリンが使われていると報告しています[4]。
 そのいっぽうで、乱用問題も広がり始めます。ベンゼドリン錠剤に対する販売制限が導入され、医師の処方せんなしで買うことが難しくなったとき、アンフェタミン乱用者が目をつけたのは、処方せんなしでも買うことができ、また広く広告されていた吸入剤でした。密封された薬液容器をこじ開け、アンフェタミン溶液を含んだテープを口に含むという形で、新たな乱用が広がり始めたのですが、これについては、後述します。

出典
[1]長井長義「漢藥麻黄成分研究成績 (續)」『藥學雜誌』121(1892): 181-221
[2]ナルコレプシー治療におけるベンゼドリンの効果に関しては、1935年に次の論文が発表されている。M. Prinzmetal and W. Bloomberg, The use of Benzedrine for the treatment of narcolepsy, 'J. Amer. mtd. Ass., 1935, 105, 2051-2054
[3]Rasmussen, Nicolas‘America's First Amphetamine Epidemic 1929-1971’ American Journal of Public Health
[4]W.R.Bett, "Benzedrine suiphate in clinical medicine”pp.206-215

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