偽造品から密造品へ|覚せい剤問題の歴史8

3 偽造品から密造品へ、ヤミ商品化したヒロポン

1951(昭和26)年、覚せい剤取締法が制定されます。前述したように、終戦後間もなくヒロポンが問題視され始めたころから、当時の医薬品取り締まり手法の枠内で、つまり薬事法を基盤に、その販売を制限し、また流通量を削減する手段が講じられてきましたが、正規の流通が抑制されると同時に、ヒロポンは急速にヤミ商品化し始めました。

当時、問題解決のためには、何より、ヤミ市場で流通している密造ヒロポンへの規制策が求められ、薬事法の及ばないヤミ商品をどのように押さえ込んでいくかが焦点とされるなかで、覚せい剤取締法の制定が求められたのです。同法に関する早い時期の文献として、1955(昭和30)年に刊行された「覚せい剤事犯の回顧と展望 」(以下では「近藤(1955)」とします。)という論考があります[1]。これは、覚せい剤取締法改正に際して、警察庁防犯課担当者によってまとめられたものですが、同法の制定経緯について「覚せい剤は、従来他の一般医薬品とともに、薬事法を適用し、その製造販売のみの規制を行い、一般の者がこれを使用・所持することによって問題をかもしたことまで予定せず、従ってかかる使用、所持に対しては何等の規制が加えられていなかったのである。前述の如くこの覚せい剤が急激に濫用されるようになり・・・・・・厳格なる規制を設ける必要が認識せられた結果、現行の覚せい剤取締法が制定公布せられたのであるが、同法は薬事法の規制の不備を補うため単独立法とし、覚せい剤の濫用による保健衛生上の危害を防止することを目的として」制定されたと解説しています。なお、国会委員会での提案理由説明にも同様の説明をみることができます。

さて、問題のこの密造ヒロポンですが、前述したように、規制の強化につれて少しずつその姿を変えながら、規制をくぐりぬけていきます。
1950(昭和25)年ころ、正規品の製造・流通が大幅に引き締められたことに対応して、まず市場に出回ったのは、正規商品の「横流し」や「偽造品」で、密造品とはいっても、正規品とほぼ同様の内容の注射剤で、同じようなアンプルに詰められ、よく似た偽造のレッテルが貼られた箱に詰めて販売されていました。前出の「除けん覚せい剤ヒロポン 」は、その密造者のなかには「大会社」も含まれていたと指摘していますが[2] 、近藤(1955)は、法制定後に検挙された密造事犯として、「緩営不振の薬品業者、染料、香料等の化学工業関係者の中に原末、注射薬の製造、密売に関与する者が多くなりつつあること、注射薬に必要なアンプル製造業者で、密造に関与する者が多くなりつつあること 」を報告しています[3]。専門知識と製造設備を持つ会社がメタンフェタミン粉末を製造し、かつて正規品のために大量のアンプル容器を製造していた会社が今度は偽造品のためのアンプルを供給するといった、不思議な光景がみえてくるのです。こうした偽造品密造の片鱗が、当時の裁判記録に残っています。昭和26年12月から翌年2月にかけて、登録業者でないのにネオアゴチンの偽造注射薬約2万本を製造したとして薬事法違反で起訴された被告人Aは、東京地方裁判所で裁判が行われて懲役1年及び罰金2万円を言い渡されましたが 、押収品のなかには、10万枚のネオアゴチンレツテルや、ロート、ビーカー、濾紙、秤などの器具が含まれていました[4]。
では、こうした偽造品は、どの程度市場に出回ったのでしょうか。法制定直前の昭和26年2月の国会委員会で、当時の取締状況が報告されましたが、過去1年間に検挙した違反のうち、「偽造を検挙したのは11件、偽造数が75万5674」、また、押収された数量は143万1358本、「一番多いのはヒロポンの100万6千本、ネオアゴチン37万、・・・・・・最近特に偽造品も相当殖えて来ております。」と報告されています[5] 。ただし、ここで取り上げているのは薬事法に基づく違反者の検挙状況であり、当時は薬事法による取締りが及び難い膨大なヤミ市場が問題視されていたわけですから、水面下では報告された数をはるかに上回る密造品が出回っていたことを忘れてはならないでしょう。

昭和26年、覚せい剤取締法が制定されると密造品の市場にも変化が生じますが、その変貌について、当時の都立松沢病院院長は国会委員会で次のように述べています。「現に取締法が出るまでは・・・・・・医者の処方なりなんなりがなければ買えないという状態になっておりながら、合法的につくられているものがかなり手に入りやすかった、しかし手に入りにくくなりましたために、いわゆる密造品が出て来た、その当時は密造品というよりはむしろ模造品というものが出て来た、・・・・・・みなレッテルから箱からちゃんとこしらえて、本物と違わぬようなかっこうで出ておった。覚醒剤取締法ができてからは、そういうものは・・・・・・普通には買えなくなった。ですからそういうものはみんな裸のままのアンプルで不体裁のまま新聞紙なりちり級に包んで取引するようになって来た [6]。」

出典
[1]近藤光治「覚せい剤事犯の回顧と展望」警察学論集8巻1号、40-51頁、(1955)
[2]横浜市警察本部刑務部教養課『浜のまもり』3巻5号(昭和26年5月5日)、26頁、(1951)
[3]前掲[1]、49頁
[4]東京地裁昭和27年10月4日判決、刑集10巻5号730頁
[5]昭和26年2月15日参議院厚生委員会 山本鎭彦参考人の発言(国会議事録)
[6]昭和29年5月29日衆議院厚生委員会 林障参考人の発言(国会議事録)

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