ブラックマーケットの誕生|覚せい剤問題の歴史7

2 ブラックマーケットの誕生

1949から1950(昭和24から25)年の2年間、厚生省は覚せい剤の製造を規制する一連の行政措置を投入し、市場に出回る覚せい剤の押さえ込みを図ります。1950(昭和25)年7-9月の3か月分として、製造業者に割り当てた製造量は700リットルで、これは前年の製造実績(前述したように月産7000リットルであった)と比較すると約30分の1という大幅な減産となりました[1] 。

ところが、市中に出回るヒロポンはいっこうに減りません。1951(昭和26)年の国会委員会で「2年に亘る行政官庁、製造業者、販売業者の折角の協力にもかかわらず、密造、横流し、不当使用はその跡を絶たず・・・ [2]」という発言があったように、正規の製造・流通ルートに対する規制を強化したことによって、非正規、当時の言葉でいえば「ヤミ」に流れる製品が増加したのです。
当時、ヤミ市場に流れたヒロポンの実態について、横浜市警察本部の機関紙に掲載された「除けん覚せい剤ヒロポン[3] 」という記事は「法令により、覚せい剤の製造に制約を受けている市場に、あとも絶たずに多くの「ヒロポン」及び類似商品が横行している現状は、慎に憂うべき現象であって・・・」と説き、その理由として、
・ 各製造会社の手持ち品を闇に流していること
・ 大会社が密造販売していること
・ 原料の入手容易のしろうとが簡単な設備を以って密造販売していること
などをあげています。記事は、密造品のなかには有効成分としての「ヒロポン」を含有しない例も少数あるが、ほとんどは「ヒロポン」を含有していること、また、しろうとが密造販売するものは滅菌や蒸りゅう水が不純不完全であること、密造品の偽造レッテルは印刷が不鮮明であることなども指摘しています。

ひとたび拡大したヒロポンへの需要は、規制が強化されてもただちに抑制に向かうことなく、逆にブラックマーケットを生み出し始めたわけです。昭和25年ころから、市中に流通するヒロポンは、急速にヤミ商品化していくことになります。ただし、この時期には、上記の記事が指摘しているように、正規品を製造してきた製薬会社による横流しや、「大会社」による密造品といったものがその中心を占めていました。時代はこの後、1951(昭和26)年の覚せい剤取締法の制定、さらに1955(昭和30)年の同法改正による罰則強化とさらに規制を強めていくのですが、こうした動きに対応して、このヤミ商品の性格が、時期とともに変化していく点は、大変興味深いところです。密造ヒロポンの作り手が次第に地下へもぐりこみ、やがて犯罪集団と結びつき、今日の覚せい剤密売の基本図式が少しずつ形成されていくのです。

ところで、この時期に、その後の覚せい剤マーケットの性格を形作る、もうひとつの変化がありました。田村雅幸氏の「覚せい剤の流行と法規制 [4]」という論文は、昭和24年に導入された、覚せい剤の錠剤・散剤の製造を禁止する行政措置によって、注射による薬物使用を促し、その後の薬物問題の様相に大きな変化を及ぼしたと示唆しています。筆者によれば、この措置は、当時薬局などを通じて主に流通していたのが錠剤及び散剤であり、注射剤の使用は限られていたことを示すものではあるが、結果からいえば、注射剤だけが禁止を免れたことになり、これ以降、ヒロポン乱用の主役は注射剤へと移行することになったとしているのです。
覚せい剤に限らず、注射使用は即効性があり強い作用感が得られることから、薬物の乱用度合いが進むにつれて注射使用に転向する例が多いといわれ、また注射使用によって薬物依存の弊害は加速するともいいます。この論文は、この時期に注射使用者が増加したことと、都立病院の覚せい剤中毒患者数の急増の関連性についても指摘しています。

さて、覚せい剤取締法が制定される前夜にあたる昭和24年から25年ころの状況を検討してみると、すでに主要なファクターが出揃っていたことに気付きます。覚せい剤の流通が地下に潜り、注射による使用が主流となって中毒者が急速に増え始めました。「除けん覚せい剤」つまり元気の出るクスリとして歓迎されてきたものが、次第にグレーな存在へと変化し始め、いよいよ、覚せい剤取締法の制定に向かって社会は動き始めることになります。
ところが、実のところ、私にはいまだに解けない謎がひとつ残っています。それは、覚せい剤をほぼ全面的に禁止し、使用者処罰を含む広範な処罰規定を盛り込んだこの法律を後押しした、社会の圧力がどこから生まれたものなのか、どうもピンと来ていないのです。この部分に関しては、もう少し資料を探す必要がありそうです。

出典
[1]昭和25年12月5日 参議院厚生委員会 慶松一郎政府委員の発言(国会議事録)
[2]昭和26年5月23日 参議院厚生委員会 中山壽彦委員の発言より(国会議事録)
[3]横浜市警察本部刑務部教養課『浜のまもり』3巻5号(昭和26年5月5日)、26頁、1951
[4]田村雅幸「覚せい剤の流行と法規制」9頁、『犯罪社会学研究』第7号、1982

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