ヒロポン入りチョコレート|覚せい剤問題の歴史5

戦時下の日本では、軍需用としてヒロポンなどの覚せい剤が使われたと伝えられていますが、そのなかで、航空隊でのヒロポン使用に関する具体的な証言が残されています。

そのひとつは、昭和13年に陸軍航空技術研究所に入所して航空糧食の研究に当たっていたという著者が後年出版した書物で、「ヒロポン入りチョコレート」という一文に次の記載があります。
 「昭和18年頃だったと思う。ドイツ空軍がヒロポン入りのチョコレートを航空勤務者用として製造して飛行士に食べさせ、効果がおおいにあがっているという報告が飛び込んで来た。川島大佐は、鬼の首でもとったような顔をして私のところへこの情報をもってきて、『おい、岩垂、直ぐにつくって、航空糧食として補給したい』と命令していったのを覚えている。早速私は日本の製造会社を調査したところ、大日本製菓㈱(マルピー)が製造できるのを見付け、試験品ができたのでチョコレートの中にヒロポンを入れ、特別に棒状のヒロポン入りチョコレートを航空糧食として補給した。今考えると、とんでもない、おそろしい機能食品である[1] 。」
このころ、ドイツではペルビチンを様々な形で軍需用に使用しており、航空兵士用にチョコレートに混ぜて支給した[2] といいますが、こうした外国の情報に敏感に対応して、日本でも同じようなものが作られていたことが記録されている、たいへん興味深い記述です。「とんでもない、おそろしい機能食品」という著者の感想は、その後日本の社会に定着した覚せい剤に対する禁忌感情によって生み出されたもので、当時は、医薬品として正規に流通していたヒロポンを添加して航空食を作ることに、特段ためらいを感じる事情はなかったのではないかと思われます。

もうひとつ『重い飛行機雲』という作品には、夜間戦闘機の搭乗員が、ヒロポンを用いた夜間視力改善効果の試験として、軍医から「暗視ホルモン」としてヒロポン注射を受けたというエピソードがあります。大戦末期の1945(昭和20)年春ころ、横須賀海軍航空隊に所属していた黒鳥少尉は、ある日軍医長に呼ばれ、「夜よく目がみえるようになる、ドイツから輸入の暗視ホルモンをうってあげるから」と最初の注射を受けました。
 「“暗視ホルモン”注射は夜戦搭乗員に主用する判断がなされたらしい。そして選ばれたのが黒鳥少尉と倉本上飛曹のペアで、ほかには少なくとも複数回うたれた者はいないようだ。技量と実績の両面から、薬効を見るのに彼らがちょうど適したレベルだと判断されたとも考えられる。(略)・・・注射はそれほど頻繁ではなく、B-29夜間来襲の可能性を示す情報が入ったときが主だった。第七飛行隊の指揮所で待機していると、軍医官が車でやってきて別々にうつ。(略)・・・夜目の効きを養うためサングラスを使用。ときには「夜の指揮所から飛行機がどのくらいまで見えるか」などの質問が軍医官から黒鳥少尉に出された[3] 。」

さて、繰り返しますが、戦時下の軍部や軍需産業でのヒロポン使用については、正確な記録が残されておらず、その片鱗を伝えるのは戦後に出版された回顧録や、伝聞や巷説に限られますが、私たちがこうした資料を読む際には、そこに少なからず戦後社会で醸成された価値観が反映されていることに注意する必要があります。覚せい剤を「おそろしいもの」とみる価値観が、いつ、どのようにして育まれていったかは後に考察するとして、少なくとも、ヒロポンが薬局で正規に販売され、また軍需関連分野で大量に使用された戦時下の社会では、そこに戦後のような特別な価値観はなかったものと思われます。
当時の日本社会では、明治以来伝えられてきた、あへんに対する強い禁忌感情があり、また中国占領地でモルヒネやヘロインなどの乱用が広まっていることが伝えられていましたが、これらの乱用が国内で広まったという記録はなく、薬物問題はまだ身近な社会問題として浮上していなかったのです。
ドイツでも、ナチス軍のペルビチン使用に言及する際に、戦後に定着した不法薬物観が影響を及ぼしているようです。ニュルンベルク裁判では、戦時下の強制収容所でペルビチンの使用試験が行われ、被験者の1人が死亡したことが記録されており、しばしばナチスドイツの薬物人体実験としてこの件が取り上げられます。薬物政策について論じたある論文は、「歴史家はときにナチスが不法薬物で人体実験を行ったと批判する。しかしペルビチンは当時は合法であり、この批判は時代錯誤である。(ナチスの)罪は、不法薬物を用いたことではなく、不法であったか否かにかかわらず、同意を得ずに人を被験者にしたことである[4] 。」と指摘しています。

出典
[1]岩垂荘二『50年前日本空軍が創った機能性食品』16ページ、㈱光琳、1992
[2]EMCDDA–Europol joint publications`Methamphetamine:A European Union perspective in the global context1´(2009),pp.8
[3]渡辺洋二『重い飛行機雲』24-25頁、文芸春秋(文春文庫)1999
[4]Jonathan Lewy ,The Drug Policy of the Third Reich, Social History of Alcohol and Drugs, Vol.22, No 2 (Spring 2008) pp.149

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この記事へのコメント

ももか
2011年06月21日 10:04
戦時中のヒロポンのお話、とっても興味があります!
以前、青空文庫にある、坂口安吾さんの著述にも、ヒロポンを錠剤で日常的に使用していたこと、流行のファッション感覚だったこと・・・今とでは全然価値観が違いますね
コカイン、ヘロイン常用の人が書いた、「ヘロインダイアリー」という本を読んだことがあるのですが、
コカインの副作用と覚醒剤の副作用がとてもよく似てると思いました。副作用、というよりは、薬の効き目の最後のほうにくる、疑心暗鬼や、妄想にがんじがらめになってしまう、作用ですが・・・
ドーパミンを出す薬の傾向なんでしょうか?
それにしても昭和時代の、ヒロポンの世代に戻ってみたいです

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