続・ナチス軍の覚せい剤|第二次大戦と薬物

第二次大戦下の日本軍では覚せい剤(メタンフェタミン)が使用されていましたが、同じ時期に、ナチスに支配されていたドイツ軍でも、メタンフェタミン製剤が、前線の兵士に支給されていたといいます。
SPIEGEL online 2005年6月5日付け「ナチスの死のマシーン―ヒトラーの薬物兵士たちThe Nazi Death Machine:Hitler's Drugged Soldiers」という記事を通じて、戦争という極限状態で使用され、兵士たちに悲惨な依存をもたらしたメタンフェタミンについて考えています。
[出典]
SPIEGEL online>The Nazi Death Machine:Hitler's Drugged Soldiers(05/06/2005)
http://www.spiegel.de/international/0,1518,354606,00.html

●薬物とアルコールの功罪
1942年1月の深夜、敵軍に包囲された500人のドイツ軍兵士が、決死の脱出行を試みていました。気温は-30℃、腰までの雪に埋もれて6時間が経過したころ、すでに行軍する力さえ尽きようとしていた兵士たちに、メタンフェタミン製剤のPervitinが支給されました。およそ30分後、兵士たちは気力を取り戻し、猛然と行軍していたと軍医は記録しています。
大戦末期のナチスは、「奇跡の錠剤」の開発にも取り組んでいたといいます。たとえば、コードネームD-IXは、コカイン5ミリグラム、Pervitin 3ミリグラム、モルヒネベースの鎮痛剤5ミリグラムを含有する、強力な作用と甚大な副作用をもたらす錠剤ですが、極限状態の小型潜水艇の乗組員を対象に使用試験が行われていました。
メタンフェタミンなど中枢神経興奮作用をもつ薬物は、極限の戦闘時には奇跡的な効果をもたらすこともあったでしょう。しかし、メタンフェタミンには強い依存性があります。海軍の医療班には、Pervitinの強力な作用と依存性に十分な注意を払うよう求めた指示が配布されていました。また、1941年7月には、Pervitinはあへん法の下で規制対象とされ、その使用は制限されましたが、軍隊への納入は従来どおり行われ、軍隊内でのPervitin使用は次第に増えていました。

問題はメタンフェタミンだけではありません。軍ではアルコールが奨励され、飲酒は大目に見られてきましたが、その弊害も表面化し、アルコールがドイツ軍の規律を脅かしているといわれるようになります。医療班による内部の集計によれば、1939年9月から1944年4月の間に、アルコールによる死亡事故が705件起きています。非公式な集計では、交通事故、兵器関連事故、および自殺など多数の死亡事故がアルコールによって引き起こされたとされています。

やがて、アルコール依存によって犯罪行為を行った兵士に厳しい懲罰を科すよう、度重ねて指示が出されます。さらに、薬物やアルコール依存に陥った兵士を選別し、トリートメント施設に送り込むことが、医療班の仕事に追加されます。トリートメント施設への収容は無期限に延長することができ、収容された依存者は、遺伝性疾患予防法の下で、強制的な断種を行い、安楽死させることさえ許されていました。
それでも、ひとたび軍に蔓延した薬物やアルコールを遠ざけることはできませんでした。メチルアルコールによって盲目になったり、死亡者がでるケースが続き、1942年には軍隊内でメチルアルコール入りの酒を密売した男が銃殺刑に処せられたと記録されています。

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