日本の覚せい剤問題|世界薬物報告書2010を読む2

国連薬物犯罪事務所(UNODC)が『世界薬物報告書2010 The World Drug Report 2010』を発表しました。この報告書を読みながら、いま世界が抱えている薬物問題について、考えてみましょう。
[参照]
UNODC‘World Drug Report 2010’
http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/WDR-2010.html

今年の報告書は、アンフェタミン型興奮剤(ATS)の拡大にスポットを当てていますが、世界のATS市場を考える際に、まず、日本の覚せい剤問題について簡単に復習しておきます。

●日本の覚せい剤問題、世界との共通点と特殊性
従来の世界では、薬物問題は地域的な特徴を濃厚に持っていました。中東地域で生産されるあへんやヘロインが、東欧を経由してヨーロッパにもたらされるため、ヨーロッパではヘロインを頂点とした薬物問題が広まりました。中東や南アジア産のあへんは東南アジアから東アジア一帯にも広まり、この地域もあへんまたはヘロインが第一位の薬物になっています。
いっぽう海を隔てたアメリカ大陸では、南米産のコカインが第一位の薬物として広まっています。

そのなかで、日本は少し特殊な歩みをしてきました。19世紀から20世紀初頭、東アジア一帯にあへんが広まった時期に、開国時の政策などによってあへんの伝播を免れた日本は、国内で目立った薬物問題が起きることなく近代社会へ突入することになりました。戦前から戦時中まで、日本の国内でけしが栽培されてあへんが採取され、また全国いたるところで大麻が栽培されていましたが、これらを酩酊目的で乱用したという記録は残されていません。また、貿易港など一部で散発的にあへん問題が起きることはあっても、あへんの吸引が大規模に広まることはなかったようです。
しかし、国内は平穏であっても、日本の軍部や商社などは、日中戦争期を通じて、中国大陸を舞台に大量のあへんを取り扱い、ヘロインなどの麻薬を流通させてきたため、二次大戦の終戦時には、日本は、国際社会では「麻薬の問題国家」とみなされていました。連合国軍による占領政策の大きな柱のひとつとして、日本の麻薬問題を根こそぎ解決することが掲げられ、終戦後の日本には徹底した麻薬管理政策が敷かれたのです。
二次大戦後の日本社会には、アメリカやヨーロッパと変わることなく、薬物乱用の拡大を許す土壌がありました。あへん吸引の習慣を身につけて大陸から帰国した人もあったことでしょう。しかし連合国軍が厳しく麻薬管理するなかで、あへんやヘロインを入手することはほとんど不可能だったのです。

その隙間に登場したのが、ヒロポンなどの覚せい剤でした。
ヒロポンが発売されたのは太平洋戦争開戦の年である1941(昭和16)年。ほかにメタンフェタミン製剤としてホスピタン、アンフェタミン製剤としてゼドリン、アゴチンなどが発売され、市販されるとともに軍事用にも使用されました。終戦後、軍事用備蓄品が大量に放出されて異常な需要を生み出したことから、覚せい剤の製造に乗り出す製薬会社が相次ぎ、市場には大量の覚せい剤が供給されました。

実は、似たような現象は欧米でも起きていました。『世界薬物報告書2010』の第1章4節(95から119ページ)は、「世界のATS市場」として、ATSの製造、流通と消費の市場分析に当てられています。その最初に次のような記載があります。
「アンフェタミン類の薬物はもともと19世紀末に初めて合成され、1932年から鼻づまりの対面販売用治療薬として発売された。第二次世界大戦中には、各種のアンフェタミン類が軍用目的で使用され、戦後、その備蓄品が市場に放出された。規制外だったアンフェタミン類薬物の使用は、広範囲の乱用を招いた。これらの治療薬としての用途を制限する必要性は、1970年代までには認識されるようになった。各国内及び国際協力によるコントロール手段が講じられ、合法な治療薬としての製造は減少したかに見えた。しかし、これら薬物に対する需要は必ずしも減少せず、これら薬物は主に密造品によって供給されるようになった(95ページ・筆者の私訳)。」
世界中で同時期に、同じようなATSの乱用が拡大していましたが、欧米ではより深刻な問題としてヘロインやコカインの乱用が拡大しており、ATS問題はその陰に隠れてしまったのです。いっぽう、ヘロインなどの麻薬が極めて厳格に管理されていた日本では、覚せい剤乱用が突出した問題として現れたのだと、私は理解しています。
上の引用部分にもあるように、欧米社会がATSの規制に本格的に乗り出したのは、1970年代になってからです。しかし、日本では、メタンフェタミン乱用が社会問題化したためいち早く規制が導入されました。わが国で覚せい剤取締法が制定されたのは1951(昭和26)年、欧米がこの問題に取り組み始める20年ほど前に、日本ではATS問題が劇的に拡大し、いち早く規制策が投入されたことになります。

1950年代の世界は、急速に拡大する薬物乱用に対処するため、反薬物の動きを強めていた時期です。アメリカでは、1956年には、未成年者への薬物の販売に対して陪審員に死刑の選択肢を与え、連邦薬物捜査官に火器の携帯を認める、薬物取締法(Narcotics Drug Control Act)が成立するなど、政府は薬物政策史上で最も厳しい姿勢を示していました。
1950年代、世界大戦後の社会不安の中で、世界中で薬物乱用が急激に拡大し、各国は厳しい対応策を講じました。アメリカではコカイン、ヨーロッパやアジアではヘロインが問題薬物としてマークされているなかで、日本ではそれらに代わる薬物として覚せい剤が浮上したのです。この時期の日本の覚せい剤問題は、同時期のアメリカのコカイン問題と重ね合わせると、不思議なほど共通点がみつかります。

歴史的な背景から、日本の覚せい剤問題には少し特殊な点がありますが、日本の薬物問題は世界と同時期に、同じトレンドのなかで推移していることに気づかされます。日本は特別と考えるのではなく、世界の共通問題の一環として、日本の薬物問題を見据えていきたいと私は考えています。

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