世界大戦とあへん・麻薬13|日本人と薬物、150年の戦い

●日本による毒化政策
蒙疆産あへんは、その生産量のほとんどが華北、華中へ配給されました。華北は北京を中心とした地域、華中は上海を中心とした地域です。日本がもたらしたあへんによって、これら地域にどんな状況が生じていたのか、江口圭一『日中アヘン戦争』岩波新書(1988)は、東京裁判の検察側書証を引用しながら、各地の様子を伝えています。

1940年の漢口では、「人口40万人の漢口市に、鑑札のあるアヘン窟が340、アヘンを売る鑑札を持つホテルが120あり、アヘンが公然と売られ、公然と広告されていた(139頁)。」
1940年の広東では、「人口50万人の広東市で、登録されたアヘン窟が852、不登録のものが300あり、アヘンについて非常に魅力を感じるような広告が掲げられ、日本兵士は淫売窟でアヘンによる支払いをおこない、日本軍の兵站地(補給基地)で働いた労働者に賃金としてアヘンが支給された(140頁)。」
また1944年ころの北京市の文書は「日支事変以後、日本軍が毒化政策を遂行して以来、アヘン公売店の設立は247の多くに達し、人民は許可証の有無、あるいは年齢のいかんにかかわらず、ひとしく吸煙しはじめ、煙民の数は日々に増しつつある」と伝えている(156頁)。

さらに同書は、陸軍中将池田純久の著書『陸軍葬儀委員長』の一文を引用して、日本軍によるあへん販売の擁護を物語る、日章旗に関するエピソードを伝えています。孫引きになりますが、その部分を紹介します。
「事変当時、日本で食い詰めた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。時々日本の国旗陵辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった。
 戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗がひるがえっているのをみて、『日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか』と随喜の涙を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙を流したであろうか。」(180頁)

日本の政策によって中国各地に供給された蒙疆産あへん、さらに日本人が関与して各地で密売されていたモルヒネ、ヘロインなどの麻薬。その害を受ける中国は、これらをひとくくりにして「日本による毒化政策」と呼び、非難の調子を高めていきます。

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