弁護士小森榮の薬物問題ノート

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zoom RSS 世界大戦とあへん・麻薬6|日本人と薬物、150年の戦い

<<   作成日時 : 2009/05/15 01:33   >>

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●ジュネーブ国際あへん会議・・・1924・1925
1920年代を通じて国際連盟を舞台に展開された、あへん・麻薬取引をめぐる外交戦は、1924〜1925年のジュネーブ国際あへん会議でひとつの山場を迎えます。会議開催の牽引力となったのは、人道外交を掲げてもっとも厳しい態度で臨むアメリカでしたが、既得権益を持つイギリスがこれに反発し、主要な討議の場からアメリカを隔離する目的で、2つの会議を召集することを提案しました。つまり、東洋におけるあへん喫煙の削減をテーマとする第一会議と、危険薬品の製造及び使用制限のための第二会議に分けて進行することとなったのです。
第一会議に参加したのは、日本、イギリス、フランス、オランダ、中国、インド、ポルトガル、シャム(タイ)の8カ国ですが、その成り行きを劉明修は次のように評します。
「国際阿片問題の目付役ともいうべきアメリカを排除した第一会議は『ねこのいないねずみ同志だけの会議』ゆえ、無事平穏に議了するであろうと予想された。が、いままで阿片問題の『両悪』と見られてきた『生産のイギリス』と『密売の日本』が、日本人の中国における密売をめぐって正面衝突となり、あわや会議は決裂するかと気づかわれる時もあった。が、賀来首席代表の努力により、結局『ジュネーブ第一阿片条約』(First Opium Convention of February11th,1925)を成立させ、無事会議を終了したのである。」(劉明修『台湾統治と阿片問題 近代日本研究双書』128頁、山川出版社、1983)

さて、もうひとつの第二会議では、東洋に権益を持つ諸国とアメリカが真っ向から対立することになり、紛糾と中断を繰り返した後、結局アメリカは脱会、中国もこれに追随して第一、第二会議から脱会します。1925年10月、ジュネーブ第二あへん会議条約を作成して第二会議は終了しました。

ジュネーブ国際阿片会議では2つの条約が作成されました。第一あへん会議条約は、阿片吸食を許容する国(阿片貿易に関与する国)を対象とするもので、第二あへん会議条約は、阿片等の麻薬の国際規制を内容とするものです。
日本は、占領地ではあへんの許容政策をとっていたため、第一あへん会議条約に沿って法制定が進められ、同時に内地では、第二あへん会議条約に沿った国内法の整備が行われることとなりました。
ジュネーブ第二あへん会議条約に対応した国内法として公布されたのが、1930年(昭和5年)の麻薬取締規則(昭和5年5月19日内務省令第17号)です。なお、これは、大戦後の昭和21年の麻薬取締規則と区別するために、旧麻薬取締規則と呼ばれます。

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