弁護士小森榮の薬物問題ノート

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zoom RSS 大麻取締法の生い立ちを考える・その12−大麻取締法の施行

<<   作成日時 : 2008/09/25 00:57   >>

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1948年(昭和23年)7月、大麻取締法が制定されるまでの流れについて、中間まとめをしておきます。

大麻が麻薬のひとつとして国際的に規制されるようになったのは、1925年(大正14年)にジュネーヴで行われた第二阿片会議からです。チャップリンの『黄金狂時代』やエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』が封切られた年です。当時、アジアで覇権を拡大しつつあった日本は、1909年に開かれた最初の国際麻薬会議である上海会議以来、主要な国際麻薬会議に参加しており、1925年の第二阿片会議条約も批准しています。条約批准国として、国内法令を整備するために、1930年(昭和5年)に制定されたのが、「旧麻薬取締規則(昭和5年5月19日内務省令第17号)」です。
旧麻薬取締規則では、第二阿片会議条約に沿って、モルヒネ、ジアセチルモルヒネ(ヘロイン)、コカインなどとともに、印度大麻も麻薬として規制対象とされ、その栽培は禁止されていました。
当時、日本の各地では繊維を採取するために大麻が栽培されていましたが、政府の麻薬担当者でさえ、これが旧麻薬取締規則にいう印度大麻と同じ植物であるとは考えず、日本で栽培される大麻を規制することはありませんでした。

ところが、第二次大戦が終結し、日本は連合国軍の占領下に置かれます。第二次大戦の間、日本が主に中国大陸で買付けたあへんなどの麻薬が大量に世界に輸出されていたことから、連合国軍が重要視した項目のひとつに、あへんなどの麻薬対策がありました。1945年(昭和20年)10月12日に、「日本における麻薬の生産及記録の統制に関する件」という覚書が出され、麻薬の凍結、栽培の禁止、記録の保管などが指示されます。日本各地で栽培されていた大麻が、印度大麻と同じ植物であり、麻薬の原料であるとして、全面的に栽培禁止となったわけです。
日本政府と連合国軍の折衝が繰り返された結果、1947年(昭和22年)2月11日「繊維を採取する目的による大麻の栽培に関する件」覚書が出され、繊維を採取する目的で、日本政府が許可し、登録した者の大麻栽培を認める方針が示されます。これに基づいた国内法令として、大麻植付時期に合わせて、同年4月23日、「大麻取締規則」が施行されます。免許制で大麻栽培を再開する運びとなったわけです。

1930年以来、麻薬規制の枠組みのなかにあった大麻規制が、このとき、独立した体系として歩み始めます。麻薬規制が医療や薬品関係者を中心に行われたのに対し、大麻の栽培規制は農業者が対象であり、上記の「大麻取締規則」は厚生、農林省令として発布されているという事情があったからだと伝えられています。なお、この期間に、あへん、モルヒネなどの麻薬に関しては、製剤、販売、使用等の取締りを目的として「麻薬取締規則」は、1946年(昭和21年)6月に施行されています。

麻薬の枠組みから独立したとはいえ、その後も麻薬規制という大枠を共有しているわけですから、法律としての整理も同時に行われました。1948年(昭和23年)8月、「麻薬取締法」と「大麻取締法」は同時に国会で承認され、法律として制定されました。
実は、サンフランシスコ講和の後、昭和28年に「麻薬取締法」は大幅な改定が行われ、占領下で科された過重な規制を緩和しています。「大麻取締法」も、同時進行で改定が行われていますが、どうも、「ついでに」改定されたような印象が残ります。戦後、外国産の安価な製品の輸入が増えたことから、大麻の栽培面積が減少し続けたことと、関係があるように思えます。

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